■レポート、雑感リスト  
「パレスチナ(4)」
 

クザール村で起きた3月8日の占領時、家族が三人殺されたというお宅を訪ねました。
殺されたのは、ハリード・カデイアさん、カハリードさん、ムハマードさんの三人でこの夜、残された家族が全員広間の床に座り、ハリードさんのお父さんに当たるカマールさんが私にその時の話をしてくれました。

「3月8日のことでした。
真夜中過ぎのことです。パレスチナの救急車が村に入ってきました。けれども中から出てきたのはイスラエル兵士たちでした。そして村は70台の戦車に囲まれていました。ここは農場地帯だったので見晴らしがよくほとんどの人は村から逃げることは出来ませんでしたので、家の中に逃げ込みました。だから殺すのにたやすかったのです。彼らは5つの家を選び入ってきました。何故ならそれらの家は高台があり村が見渡せたからです。彼らは犬も連れていました。家に入ると彼らは男達に服を脱ぐように言いました。そして腕を後ろに縛り目隠しをしました。家族を一つの部屋に入れ二人の兵士は銃を女と子どもに向けていました。戦車は村の全域を占拠していました。そしてイスラエル兵士はモスクに入りスピーカーを使って、外に出てくるように叫びました。武器や銃を使わないとも言いました。アラビア語で言いました。

それで人々は外へ出ました。東から37台の戦車、10台の装甲車、3台のバスが入って来ているのが見えました。次の瞬間、全てが砲撃を始めました。女、子ども、犬、豚もヤギも撃ちました。
ハリードは足を撃たれました。
まだ生きていたので助けようとしました。けれども私の目の前で、戦車が彼を轢いていきました。そして彼の頭や顔や胸はすべて潰れ、道には形も何も残りませんでした。彼を助けようとするものは容赦なく撃たれました。

私は泣き叫びました。
それを止めようとして走ってきた親戚も撃たれて死んでしまいました。

ムハマードは20発も撃たれましたが、まだ息はありました。けれども誰も助けることも病院に連れて行くこともできませんでした。何故なら村の入り口で、救急車も何も入れなかったからです。たくさんの人が怪我をしましたが血が足りなかったのでみんな死んでしまいました。

ただ殺されたのです。私たちは兵士でもないし何でもありません。
ただ来て殺したのです。殺して出ていったのです。捜査などありません。

言い忘れましたが、ガザ南部のソルジャーもその夜殺されました。彼はここで何が起きたのか見に来たのです。そして足を撃たれ病院に運べず死にました。(救急活動ができないので)足を撃つだけで十分殺せるのです。

その夜18人が殺されました。たった二時間の間に。今は100人以上の人がナーサルホスピタルにいます。

どのパレスチナ人の家もみんな同じです。農場も壊していきました。」
(実際の死者は16人そのうち5人がパレスチナ警察)

殺されたハリードさんは結婚したばかりで、家には奥さんと生れて20日目の赤ちゃんが残されていました。

その小さな小さな赤ちゃんを腕に抱いて、私は怒りと無力感にうちのめされていました。


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