フランス人の母親達が帰国した後、私は一人でベツレヘム、そしてガザにも行きました。ウエストバンクの状況を見て、ガザはもっと悲惨であろうことが予想できたのでどうしても行く必要がありました。
一人で行動しないように言われていたので一緒に行く人を探しましたが、見つけることが出来なかったので仕方なくあちらのNGOオフィスの住所の書かれたメモを一枚もって一人で行きました。
ガザは、エルサレムから車で一時間半程南に走ったところにあります。朝一番に乗合タクシー(セルビスと言って時間で走るのではなく、同じ方向に向かう乗客が集まり車がいっぱいになったら出発します。)に乗り込んで待っていましたが、予想通り一人のお客も来ないので、一人乗りタクシーで向いました。こんな時にガザに行く人などいる訳もありません。
ガザの入り口は、イスラエルに完全に制圧され大きなターミナルができています。まるで空港のような厳重なチェックを受け中に入らなくてはいけません。占領時でなければ外国人である私たちはチェックさえきちんと受ければたいていは自由に出入りできますが、パレスチナ人は自由に出入りができません。物資の出入りもイスラエル軍にコントロールされています。
その日ターミナルには、イスラエル兵達と私の他は誰もいませんでした。さて、ガザの南北を走るメインロードはかつては三本ありましたが、今では一本しか使えません。後の二本は、入植者「セットラー」(植民地政策でパレスチナ自治区に不法に建てた家に住むイスラエル人達のこと)のための専用道路として、獲られてしまっています。
パレスチナ人は残りの一本の道路しか使うことが出来ないのですが、それさえ南北の中間地点カラーラが封鎖されたり、開いていてもイスラエル兵の審査を受けなくては通れません。
いわゆるチェックポイントです。
今は占領のことを取り上げられることが多いのですが、占領時でなくても実はチェックポイントによるこの封鎖こそがパレスチナ人の生活に壊滅的な打撃を与えています。
これにより観光客はもちろん人の流れも物資の流れも制限され、街は活気を失い人々の心は荒んでいきます。
生活に使う水と、病院では特に酸素や輸血用の血液が深刻に不足しています。農作物の収穫期には、収穫のために農場へ出るのを故意に阻まれ作物が腐るまでそれは続きます。ですからガザでは、世界一の人口密度にまで追いやられた狭い土地の中で農場や牧場を確保し、自給自足に近い生活を強いられています。
しかしガザ国境付近にイスラエルは公害を伴う工場を建設し、その環境汚染が深刻とも言われています。内部で収穫した食物や水が汚染されていることをみんな分かっていながらどうすることもできないと言います。
特にイスラエルのデイモナ工場による空気汚染で、ガザ南部国境付近にあるクザール村では、主に子どもとお年寄りに背中に異状を来たし、立つことができなくなる障害が多く見られると聞きました。真偽のほどは分かりませんが、私はその症状を持つ6才の女の子とお婆さんに会いました。
閉じ込められたコミュニテイと汚染のため、ガザでは障害を持った子どもの出生率がひときわ高いそうで、訪ねた家のほとんどに障害を持った子どもがいました。
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