■レポート
   
「パレスチナ(1)」
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3月5日から23日までイスラエルーパレスチナに行っていました。

9月のテロ事件のあと、もうパレスチナ問題を無視できない時が来たと私の中で認識していたのですが、実際にはほとんどその事には触れずテロという言葉に人々が必要以上に敏感になる中で、テロ撲滅の名のもとに戦争そのものがどこか正当化されていく風潮に非常に危機感を覚えました。

また西欧文化や情報は普通に入ってくるのに対し、アラブやイスラムについてほとんど情報がないまま、イメージだけが先行している中で、各地の紛争やテロ事件は減る様子もなく、この先アラブやイスラム社会を理解することなしにどんな解決も共存もありえないという気持ちが強まりました。

そんな中イスラエルが、(予感はあったのですが)アメリカと同じ理由を掲げパレスチナへの侵攻に力を入れ始めました。

出来事としてのニュースは分かりますが、その実態は、日本でテレビや新聞をいくら読んでいてもつかめるものではありませんでした。私自身、ユダヤ人のこともパレスチナ人も、彼らが朝御飯に何を食べているのかすら知らなかったのですから、この問題について自分なりに分析するための自分の言葉も経験も持ち得ませんでした。

イスラエルの主張は不透明に感じるものが多く、視点がいつも一つに留まっていたのとパレスチナ側の主張や映像が、イスラエルと同じレベルで流されることはほとんど無く不満に思っていました。

それなら自分で見てこよう。何もジャーナリストや専門家だけが現場を見るものとは決まっていません。なかなか届かない情報を指をくわえて待っているのはもうやめたっと思い、もともと行くつもりだった旅行を取りやめてパレスチナに向いました。
けれども私がパレスチナ入りした頃は、それまでで最も緊張が高まり始めた時でした。
日本にいるとテロリストや紛争の話ばかりしか届かないパレスチナの人々と、直接関わって彼らの本当の姿や人々の暮らしぶりを知りたいと思っても、被害の状況など今起きていることを自分の目で見たいと思っても、何のグループにも所属していない私が自治区や難民キャンプに行くことはとても難しく思われました。

それでも諦らめきれずUNRWAや国連など公の機関を訪ね歩く一方で、市民レベルで活動しているさまざまな人を一人一人伝っていくうち、最後に行き着いたのがNGO団体であるGIPP−PNGO(パレスチナのための草の根運動の会)でした。

PNGOは活動の一環として、なるべく多くの人たちに直接現場を見てもらおうとナブロスのフランス人女性クロードとラマラのパレスチナ人女性ルナッドがヨーロッパ方面中心にインターネットで呼びかけていたのです。それに応えてやってきたフランスのお母さん達の団体8人と、私も一緒にウエストバンクを廻ることしました。

そして地元のNGO―GIPPの協力の下、自治区のうちのナブロスと、ジェニン、トウルカレムの難民キャンプや村を訪ねました。

イスラエル側の被害状況や主張が次々と報道される一方で、パレスチナ側の取材や中継がイスラエル兵の封鎖によって制限されなかなか実態がつかめないことに疑問を持ち、それなら自分の目で見てこようとここにやって来たことで私たちは共通していました。

ナブロスの知事や、ジェニン、トウルカレムの難民キャンプのリーダー達も村の人々と共に私たちの訪問を待ち構えてくれていました。

そしてイスラエル軍による占領で被害にあった場所を訪ね歩き、夫を殺された人や家を焼かれて泣いているお婆さんなど、一人一人から直接話しを聞いてまわりました。
そこで実際に私が目にしたことは、自分の目で見た後でも信じられないことばかりで人が人に対して本当にこんなことが出来るのかと、何度も自分の目や耳を疑いました。
けれども、これは現実として受け止めるしかなく、きちんと他の場所へ伝えるべき重要な出来事であるという思いがつのっていきました。

この頃もイスラエル軍は、自治区を次々に封鎖占領し、毎日のようにヘリコプターでの空爆と戦車での破壊や爆撃を繰り返していました。

占領は、いつも真夜中に始まりました。

一つの自治区や難民キャンプを、数十台、時には数百台もの戦車で取り囲み、外部からの進入も一切出来なくなります。

そして必ず行われるのが「テロリスト狩り」と称された14才から50才までの男性の連行です。連行された男性は全員目隠しと手錠をされ、服も全部脱がされて腕に番号を振られます。イスラエル軍のバスに乗せられ連れ出される映像が、最近CNNでも流されました。
 


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