【パレスチナの写真 - 4】
 
 

破壊された自宅前に座り込む女の子
2002年3月14日トゥルカレム

   
   

3月8日のガザ侵攻で家を失いケガを負った子ども。難民キャンプの子ども達から住む家を奪い、このあと彼から何を奪おうというのか。
2002年3月19日ガザハン・ユニスキャンプ

   
   

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3月16日まで続いたベツレヘム占領・空爆で家を破壊されたマイサちゃん。
ベツレヘムの占領は、その後も繰り返され、生誕教会に逃げ込んだ人々が今もイスラエル兵にとり囲まれ助けを待っている。ベツレヘムの人々にとって、ここが唯一残された逃げ場所なのだ。しかし、イスラエルはイエス・キリスト生誕の教会さえ砲撃し、世界からの非難を浴びた。
今朝の新聞で、鐘鳴らし係のおじいさんがイスラエル兵に殺されたことを知った。
2002年3月18日 ベツレヘムディヘーシャ難民キャンプにて

   
   

破壊されたジェニン難民キャンプで、子どもたちは私の名前を何度も呼んだ。 「ノリコ!」「ナリコ!」「違うよノリコだよ!」
アラビア語がわからないので、私たちは動物の言葉で会話した。「メエメエ」「ニャ オー」「ウォー」「ワンワン」十分通じ合った。楽しくなって一緒に笑った。
今月ジェニンキャンプはとうとう全てが破壊され、700〜800人が虐殺された。イスラエルに聞きたい。何故、彼らを殺したの?どんな殺す理由があるというの?何故、自爆はパレスチナの罪になるのに、この子たちを殺したシャロンは罪にならないの?

 
         
 
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