【パレスチナの写真 - 3】
 
 

国境付近ハン・ユニス難民キャンプに世界中の支援で建てられた住宅は、これでもかと砲弾を浴びていた。この撃ち方には何の主義主張もなく、捜査の意図も人道的配慮も見えない。 彼らの目的はパレスチナの破壊であり、パレスチナ民族の撲滅なのだ。
何故これだけメディアの発達した現代社会でこのような行為を誰にも止めることができないのか不思議でしかたなかった。
2002年3月19日ガザ

   
   

チェックポイント
普通に通過できる日でも、仕事や病院に行くために何時間も待たされる。
物資や救急車の進入も阻まれる事もありパレスチナの人々の暮らしに壊滅的な打撃を与えている。
2002年3月16日ラマラカランデイア

   
   

ベツルヘム デヘーシャキャンプを見下ろす入植地(パレスチナ自治区に違法に建てたイスラエル人のための住宅)
イスラエルは今も次々とパレスチナ人の土地を奪い、このような建築をくり返し、この土地がイスラエルのものであるという既成事実化を計り、圧力を与えている。
2002年3月18日ベツレヘム

   
   

メインロードがチェックポイントにより封鎖されているので、人々は迂回路を作り延々歩いて次の町に入る。
その道も戦車とブルドーザーで次々破壊されていく。
2002年3月13日ジェニンへ向う道

   
   

パレスチナの人たちはどんなに家族が殺されても破壊を受けても必死で日常を続けていた。それこそが声なきほとんどのパレスチナ人の本当の抵抗の姿だった。だから私が訪ねた時も爆撃を受けた穴だらけの校舎や校庭でいつも通り授業が行われていた。
この女の子は弾丸がくい込んだままのノートを見せてくれた。UNRWAとイスラエルの間で案全地域の協定が結ばれていたにもかかわらずイスラエルは授業中の女子小学校も銃撃し死者を出している。
2002年3月13日ジェニン難民キャンプ
UNRWA(国連難民救済機関)女子小学校にて

 
         
 
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