パレスチナの人たちはどんなに家族が殺されても破壊を受けても必死で日常を続けていた。それこそが声なきほとんどのパレスチナ人の本当の抵抗の姿だった。だから私が訪ねた時も爆撃を受けた穴だらけの校舎や校庭でいつも通り授業が行われていた。
この女の子は弾丸がくい込んだままのノートを見せてくれた。UNRWAとイスラエルの間で案全地域の協定が結ばれていたにもかかわらずイスラエルは授業中の女子小学校も銃撃し死者を出している。
2002年3月13日ジェニン難民キャンプ
UNRWA(国連難民救済機関)女子小学校にて