■レポート、雑感リスト
■10月16日 悪夢
 

 

こんばんは。
今日は不思議な色の月が出ていました。
お元気ですか?

ここのところずっと忙しく、今日の午後ソファでうたた寝を見てしまいました。
そして怖い夢を見ました。

ガタガタと振動がして、突然大きなパワーショベルの先が私の
部屋の窓の前に現れたのです。
それはイスラエル兵の運転するアメリカ・キャタピラ社の
作った家屋破壊専用のブルドーザーのシャベル部分でした。
そして有無を言わさずものすごい轟音とともにガシャガシャと家を壊し始めたのです。
私は部屋の中から叫びますが、破壊の音は大きく、誰にもその声は届きません。
ブルドーザーの横には二台の戦車が配置され、ブルドーザーを
ガードしています。

恐怖のあまり震え上がって目が覚め、夢であることを知りました。

ところがその後すぐにまた、ガタガタとものすごい振動が起こり、
一瞬足をすくわれます。ものすごい不安に襲われますが
けれどそれは今日の午後、このあたりを震源とした震度4ほどの地震でした。
私は地震と知ってなぜかホッとし、冷静になって揺れに身を任せ
近くの棚が倒れないように押さえました。

でも今でも忘れられません。
突然他人の手によって、家が壊されるという時の
屈辱感・喪失感・圧倒的力の差で踏みにじられる自尊心
どこへも訴えることのできない、誰にも止めることのできない
無力感、そして誰もこの事に気を留めてくれないやり場のない
孤独感。

夢とはいえ、「壊される!」と思った瞬間に、生まれて初めて
そんな気持ちになりました。

最近ガザのラファという地域が、特に徹底的に侵攻され
家の破壊が続いています。
現在西岸地区には壁が建設されていますが、ガザの
国境付近は、ずっと以前から家の破壊が続けられ、そこに壁が
張り巡らされ、見張り塔が立ち、土地が搾取され続けています。

この夏広河隆一さんがアエラに載せた記事は、このガザ地区の
壁の建設責任者が今の西岸地区の壁の責任者であることを指摘
しています。

ガザでずっとイスラエルが強行し、国際社会に見過ごされてきた家の破壊。
それが成功してきたから、西岸地区の建設にも着手したというのです。
家の破壊。  家の破壊です。
「家が破壊される」ということなら、それがどういうことなのか
私たちも簡単に自分のことに置き換えて想像できます。

以下は、パレスチナ子どものキャンペーンの出した「ラファでの
家の破壊」についての記事と、ラファに半年間ISMのメンバーとして
住み込み、現地のパレスチナ人たちとかかわりながら、そこでの
状況を見てきたアメリカ系ユダヤ人のローラさんが送ってくれた記事です。
ローラさんの記事は、山田和子さんが訳してくれ、京都の友人が
ナブルス通信として発信してくれました。

長いのですが、是非読んでいただきたいので転送します。

また、末尾に報告会のお知らせを添付します。

森沢典子


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★ラファでの家屋破壊

先週金曜日に始まったガザのラファ難民キャンプでの家屋破壊については、
非常にひどいものにもかかわらず、メディアでほとんど取り上げられていません。

国連(UNRWA)の発表によれば、114件の難民キャンプの家屋が破棄され、
1240人がホームレスになっています
また117件の建物が部分的に破壊されたということです。

このイスラエル軍による軍事作戦では、8歳と12際の子どもを含む8人が
殺されています。
8歳のイブラヒム・キワニ君は、破壊の最初の時点で殺されました。
家の中にいたキワニ一家は、急に家が壊されそうになったために
逃げ出そうとしましたが、家を出るよりも早くブルドーザーが壁を
引き剥がし始め、子どもたちが外に出て止めようとしたときに、
一発の銃弾が、イブラヒムの右胸に当たりました。
家族は救急車を呼びましたが、救急車は、軍によって家に近づくことを
阻止され、イブラヒムは出血多量で1時間後になくなりました。

イスラエル軍は、エジプト国境からガザに武器の密輸をするために
作られたトンネルを破壊するのが目的だといっていますが、
これほど大規模な家屋破壊は、関係ないコミュニティーの人々に対する、
見せしめであり、国際法で禁じられた集団懲罰に他なりません。

イスラエルの平和団体グシュ・シャロームは、イスラエル軍が、
エジプト国境沿いに無人地帯を作って確保する計画を以前から
持っていて、300から400メートルの幅で、全ての民家の破壊を
少しずつ実行に移している、その一環だと指摘しています。
同じことは夏に来日したガザの弁護士ラジ・スラーニさんも従来から
指摘しています。
元々ラファの難民キャンプは、エジプト側にも広がっていて、
キャンプデービッド合意でイスラエルがシナイ半島から撤退したときに
難民キャンプの半分はエジプト側になってしまい、長年、国境の鉄条網
越しに、分断された家族が、毎日のように大声で話し合っていたものです。
ですから、国境近くは人口の密集した地域です。
第2次のインティファーダが始まって以来、ラファの国境沿いでは家屋破壊が
しばしば行なわれていましたが、今回はその中でも最も規模が大きく、
被害も甚大です。

UNRWAのプレスリリースによれば、過去3年間に、ラファで
ホームレスになった人々は7523人に上っています。
またガザ全体では11987人に上っています
ラファでは、すでに多くの家屋が破壊されていて、人々が難を
逃れる場所があまり残っていないと、現地からのニュースは伝えています。
高校には150人の人々が避難をしています
ほとんどの人が着の身着のままで、何も持ち出すことが出来ませんでした。
通学かばんや教科書ももちろん瓦礫の下に埋められてしまいました。

パレスチナ子どものキャンペーンより


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【イスラエル軍がラファに再侵攻 目撃者の手記2】

10月9日〜11日のイスラエル軍侵攻によって、めちゃめちゃに破壊を受け
たラファにまた戦車が戻ってきました。

国連事務総長、UNRWA、アムネスティ・インターナショナルから出ている非
難をもろともせず、傷だらけの街、傷ついた人々の上に銃弾や砲弾が落と
されています。こちら


メディアもほとんど入っていない(入れない)様子で、ラファの詳しい状
況はほとんど届いていません。

以下にお届けするのは、おそらく再侵攻の開始直後の状況から始めて、最
初の侵攻中の様子も盛り入れたISM(国際連帯運動)のローラ・ゴードンさ
んからのメールです。ニュースからでは伝わってこない街や人々の様子が生
々しく伝わってきます。

(なお、緊迫した状況下で書かれたもので、正確な時系列を追うことは詳
しい文章になっています。送信されたのが、13〜14日にかけての深夜だと
思われます。)

ローラさんは20歳のユダヤ系アメリカ人。「Birthright Israel」プログラ
ムによって、イスラエルに渡り、数ヶ月後からISM(国際連帯運動)に参
加しました。米国人レイチェル・コリーさんの殺害、英国人トム・ハンド
ールさんが頭部を撃たれた事件に立ち会ってきた人です。もう半年以上に
渡り、ラファで活動を続けています[*1]。

(文責:ナブルス通信 2003.10.15)
山田さんの訳では落ち着いた雰囲気の文章ですが、
実際はかなり「とっちらかって書かれた」文であるため、わかりにくい
場所が山盛りあります。(さすがに山田さんでも、この短時間でそれも
伝える文体にするのは無理でした

長いですが、ぜひ読んでみてください。

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「侵攻また侵攻」

ローラ・ゴードン
ラファ、占領下のガザ
2003年10月14日

街なかに叫びが上がりはじめ、私たちはほとんど何も考えずに走り
出していました。恐怖を忘れてしまっていた人たちをよけ、荷物を
いっぱいに載せたロバをよけながら、道路の端を走っていくうちに
横道に行き会ったので、そこに入り込み、大勢の家族や子供たちの
横を走りながら、狭い道を抜けていきました。そこは、メインスト
リートからは離れていて、最悪の事態はまだ伝えられておらず、私
たちがニュースを知らせる先鋒となりました。そのニュースとは─
─「イスラエル軍が戻ってきた」
これを聞くと、お年寄りは目を大きく開き、お母さんは、子供たち
を家の中に引っ張り込んで、私たちがやってきた方向に、もううん
ざりだ、といった目を向けました。私たちは海岸通りでタクシーを
見つけ、ブロックJに向かいました。戦車が1台、機銃掃射を続けな
がらイブナの難民キャンプに入っていきました。夕刻。太陽が空に
燃え上がる穴をうがちながら、街の端の壁の向こうに沈んでいこう
としていました。

私たちがイブナに着いた時、キャンプはすでに大脱出モード一色に
なっていました。家具が山積みにされたロバの荷車、玄関の扉の蝶
番をはずす男たち、蛍光グリーンのキーチェーンにつけた家の鍵を
握りしめている子供たち──これまでのすべての世代が流浪という
運命をたどってきた難民たちの子孫である、現代の難民たちの脱出
の光景。

イスラエル軍は夜の間、姿を消していました。あとに残されたのは、
すっかり裸にされた街です。骨格を叩き壊され、ねじれた体を天に
向けて延ばしている家々。樹々も道路も、電線も水道管もことごと
く破壊され、お互いにからみあい、根こぎにされた姿をさらしてい
ます。まさに、生命あるものすべての墓場です。実際に死んだ人た
ちの遺体はすでにストレッチャーで運ばれていきましたが、その多
くは何時間もの間、路上に──外出禁止令下の恐怖のもとで閉ざさ
れたドアと戦車の間に──放置されたままで、救急車が何とか遺体
を回収しようと、軍と話し合いを続けているばかりでした。その日
は、すばらしい秋の一日でした。プールのように青い空のところど
ころに、ふわふわした雲が浮かんでいました。

軍は夜になると、ボーダーに沿って雷のような音を轟かせ、街じゅ
うに恐怖を与えながら、姿を消しました。軍は、やってきた時の街
路ではなく、まだ何とか持ちこたえていた家々を突っ切って道を作
りながら去っていきました。行く手にあるものは何でも叩き壊し、
その残骸の上を進んでいったのです。

10人が亡くなり、80人以上の人が負傷しました。国連の推計では、
破壊された家は100軒以上、2000人以上が家を失いました。そして、
こんな状態になっても、軍は完全に撤退したわけではなく、それも
一時的なものでしかありませんでした。ボーダー沿いには引き続き
軍隊が駐屯し、陸軍参謀長のモシェ・ヤアロンは、さらに多くの予
備役を召集・配備しました。街では、こんな言葉が行き交っていま
す──軍は、おびえた住民たちがキャンプから出て行くまでの間、
姿を消しているだけだ。街がからっぽになったら、軍は破壊作業を
完了させるつもりだ。

その日の夜、私は、サッラー・エル・ディーン・ゲートの近くにあ
るノーラ一家[*1]の家に泊まりました。朝になって、みんなでバ
ルコニーから覗いてみると、ブロックOの塔のそばには、依然とし
て1台の戦車が居座っていました。その戦車は銃撃もやめようとは
しませんでした。1日じゅう、何度となく、思い出したように激し
い銃撃が起こりました。

*****

死んだのは、ほとんどが10代の少年です。この子たちは、道路に
いて自分たちを家から出られないようにしているのはいったい何
なのかと、恐ろしさよりも好奇心が先に立って、外に出てみたの
です。少年たちの遺体はストレッチャーで運ばれて、数日間、病
院の冷蔵室に保管され、家族が身元の確認に来るのを待っていま
した。中には確認不能な遺体もありました。軍隊がいなくなって
家族が埋葬できるようになるまでの間、宙ぶらりんの状態で待っ
ていなければならなかった少年たち。

でも、葬儀が行なわれたのはキャンプではありませんでした。キ
ャンプは、イスラエル軍が再侵攻してくる危険性があったからで
す。葬儀は、キャンプから遠く離れた街の中心地、ハイ・イル・
イジュネーナで行なわれました。でも、ここも危険から充分に遠
いというわけではありません。侵攻の2日目、葬儀が行なわれてい
たすぐ横の空き地に、アパッチ攻撃ヘリがミサイルを撃ち込みま
した。葬儀は、ハイ・イル・イジュネーナに住んでいた人のもの
でした。ハイ・イル・イジュネーナは、街いちばんの高級住宅地
で、ボーダーから離れていることで知られています。でも、その
人は、アパッチ・ヘリが発射した巨大な弾丸が家の屋根を貫通し
て、亡くなったのです。

*****

イスラエル軍がやってきた時、私たちは屋上にいて、順番にいろ
いろな物語や夢の話をしていました。突然、アパッチ・ヘリが何
機か、世界の終わりを告げる信号のように飛来してきて、こぶし
ほどの大きさのある弾丸を撃ち落としてきました。ドーンドーン
ドーン。ヘリと戦車からの攻撃で、数分ごとに爆発が起こります。
私たちはオフィスに戻り、一晩中、恐怖に包まれて、コーヒーを
飲みながら起きていました。飛んでくる銃弾のひとつひとつが私
たちの部屋の窓を貫通するように思えてなりませんでした。オフ
ィスは街の中心にあります。銃撃はすべてボーダーのほうからや
ってきました。たとえ、オフィスの壁には届かないとしても、銃
弾は私たちの方向に向かってくるのです。激しい雨のように響く
銃弾の音は、このうえなく恐ろしいものでした。

住民は病院に押し寄せ、午前中には早くも薬品や備品が足らなく
なっていました。この地域で最も設備の整っているヨーロピアン ・
ガザ病院には、数日間、戦車が居座って誰の出入りも許さなか
ったため、住民はひとりとして行くことができませんでした。亡
くなった人の遺体は冷蔵室で身元確認を待っていました。ベッド
はいっぱいで、患者は床にまであふれていました。

最初に遺体確認をしたのは、私の友人のアドワンです。アドワン
が確認したのは、彼の12歳の時からの友達であるマブルークでし
た。マブルーク──「おめでとう」という意味──は、家に向か
って歩いている途中、頭に3発、背中に5発の銃弾を受けて死にま
した。19歳でした。

男性たちがモスクに集まって祈りを捧げ、情報を交換し合ってい
ました。ムハンマドがニュースを持って戻ってきました。私たち
全員がよく知っている図書館のベテラン職員が、通りを歩いてい
る時に心臓を撃たれて死んだということでした。レイチェル・コ
リーを運んだ救急車の運転手のひとりも、負傷者の救出に向かう
途中で殺されました。彼の運転していた救急車を含めて、その夜、
イスラエル軍は2台の救急車を銃撃しました。

ブロックJの、私の友人フェリアルの家がある通りのすぐ先で、
彼女の隣りの家の8歳になる男の子が、玄関先で殺されました。戦
車がバックで家に突っ込もうとし、その子が家から走り出そうと
したところを撃ったのです。それから2時間の間、軍は救急車がこ
のブロックに入ってくるのを拒否し、その子は失血死に至りました。
フェリアルは今5番目の子供がお腹の中にいて、もう、明日にでも
生まれるかもしれないという状態です。フェリアルの家があるブロ
ックの4つの角のそれぞれに戦車が居座っています。

*****

数日間機能しなくなっていた通りの水道と電線の修理をさせてくれ
るよう軍と交渉するために、市の現場職員と一緒に出かけていきま
した。市の現場職員と救急車の運転手は真のヒーローです。街を崩
壊させないでおくために、自分たちの恐怖心は忘れて奮闘しつづけ
ています。私は、10メートルほど離れたところから、装甲人員搬送
車(APC)に乗った兵士に声をかけて、作業員に水道の修理をさせ
てもらえるだろうかと訊ねました。その兵士は、私に向けて親指を
上げてみせました。理解しようという様子はうかがえます。衝突す
るパラレル・ユニヴァース。私には、この巨大なマシンの中にいて、
私と言葉をかわしているのが本物の人間だとはどうしても思えませ
ん。私は、人間どうしのコンタクトがしたい、何とかこの戦争機械
に人間の顔を持たせたいと思っていました。私たちは、軍が作った
ロードブロックの両方から互いに大声を投げ合いました。この封鎖
物は、私たちの誰も越えることのできない深淵でした。私はその場
から動かず、ただただその兵士の顔を見つめながら、「ああ、この
人が戦車から降りてきてくれるまで、何時間でも話していられたら
!」と、午後の陽射しの中で何ともナイーヴで馬鹿ばかしい思いに
包まれていました。

イスラエル軍は道路のいたるところを掘り返してしまっていました。
あちこちで水道管が破壊され、水があふれだして、一帯の地面を水
びたしにしています。この時点で2日間、住民は食料も水も電気も
ない状態で過ごしています。2人の女性が、軍事区域にいる自分の子
供たちに服を持っていってやろうとしましたが、区域内に入ること
を許されませんでした。市当局も、この封鎖された区域内にいる人
々に食料を届け、水道と電気の修復をしようとしましたが、同様に
区域内に入ることを拒否されました。

*****

その前の夜、私はナエーラ一家の家に泊りました。侵攻から1日た
った日の夜です。誰もが「ジェニン」という言葉を口にしました。
そして、「Bb'eyn Allah(神は見ている)」と。

*****

私の友人アネースの家は半分破壊されました。豆ジュースを売っ
ているアブ・アーメドの家は完全に破壊されました。

*****

イスラエル軍はラファで初めて、何らかの神経ガスを使いました
。[*2]住民はその後数日間、身体の痙攣がとまらなかったそう
です。

*****

そして、昨晩、イスラエル軍が戻ってくると、私は急いでイブナか
ら出て、まっすぐにブロックJのフェリアルの家に行きました。外
で心配しているよりも、外出禁止令下の家でフェリアルと一緒にい
たほうがいいと考えたのです。前回のような形ではなかったものの、
軍用車両がやってくるだけで充分でした。住民は震え上がり、こぞ
って脱出していきました。軍は一晩じゅう銃撃を続けました。私は、
大きな物音がすると何でも銃撃音だと思うようになりはじめました。
ここに来たばかりの時の感覚に戻ってしまったのです。

誰もちゃんと眠ることができませんでした。戸外では、あらゆるも
のが破壊されてしまっています。静かな朝が来ました。一家は、近
所の家々の入り口の階段に坐ってあたりの惨状を見つめました。以
前には多くの人で賑わっていた一帯は、見慣れないアンティーク・
ギャラリーに変貌しています。ひしゃげた車や倒壊した家の間で、
一番いいクライミング・スポットを探しまわっている子供たち。あ
と数週間もすれば、軍は仕事を終えて一帯を「きれいに」し──死
んだ街の骨格をすべて取り除き──、あとには、のっぺりとした土
が広がるだけの軍用駐車場になってしまうのでしょう。亡霊たちで
さえ、もう少しましな風景を探して、この地域から出ていってしま
うはずです。

フェリアルと一緒に、お腹の大きい女性と甲高い声を上げる子供で
いっぱいの込み合ったクリニックの長椅子に坐っている今も、戦車
は依然としてキャンプに銃弾を撃ち込んでいます。昼間も夜間も、
軍は銃撃をやめず、新たに4人の負傷者が出ました。街全体が恐怖に
包まれ、息をするのさえ怖がっているようです。悲しみは干上がり、
言葉も失われています。住民の多くは路上のテントで過ごしており、
スペースに多少の余裕のある何家族かが、新たな「家を失った人た
ち」を迎え入れています。

イスラエル軍は相変わらず嘘をついています。破壊した家はわずか
10軒で、殺されたのは武装していた者だけだ、と。ジャーナリスト
の人たちも現場に来ようと努力はしていますが、簡単なことではな
く、さらに、軍の指示に従うというガイドラインのもとではどうし
ようもないと言わざるをえません。超音波診断機の音が、私のおび
えた耳には銃撃音のように聞こえます。フェリアルは前を見ていま
す。辛辣な冷笑の色をたたえたまなざしで、どこか遠いところにい
るように、じっと前方を見つめています。


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(翻訳:山田和子)

※ローラさんの手記は、ISM(国際連帯運動)から14日にメール配信され、
エレクトロニック・インティファーダ上に15日に掲載されました。

※この文章はここ にアップ予定。

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【イスラエル政府、軍へ抗議を!】黙っていると、この侵攻を認めたこと
になってしまいます。ここで行われていることはすべて第4ジュネーブ条約
違反であり、国際人権法上許されることではありません。

「緊急呼びかけ:ラファが破壊されている」


(抗議先、呼びかけ文、抗議文サンプルなど、ラファ侵攻のサイトです。
どうか、広めて利用してください)

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【編纂者註】

[*1]ローラのISM(国際連帯運動)での活動、経験については、イスラエ
ル人ジャーナリストによる報告の中に記されている。『ガザでの「地獄」
の一夜」』(ビリー・モスコーナ=ラーマン)また、ここで登場している
「ノーラ一家」もこの文章で描かれている家族のことだと思われる。
こちら

[*2]The Palestine Monitorが11日付で配信した記事にも、「イスラエル
軍は、黒い煙が出るガス弾を使用しているようで、これは、国際法でその
使用が禁止されているadamatiteなのではないかと医療関係者が疑っている
。そのガスは、呼吸困難をもたらすだけでなく、神経に大きな影響を与え
る」という記述がある。adamatiteは、adamsiteのスペルミスの可能性もある
が砒素系化合物のadamsiteによる症状と完全に合致している訳ではない。
こちら

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編集責任:ナブルス通信 

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★NGOの共同行動

西岸にイスラエルが建設中の「隔離壁」に抗議をし、一日も早い建設の中止を求め
て、パレスチナ子どものキャンペーンをはじめ、パレスチナの現地で活動をしている
いくつかのNGO団体による共同行動を、11月中に計画しています。
多くの人にパレスチナの現状を知ってもらい、また分断に反対する行動に参加して
もらおうと、いま具体化を進めています。
詳しいことが決まり次第、なるべく早くお知らせをしますので、どうぞご参加、ご協
力ください。またボランティアが出来る方はお知らせください。

 
midi@par.odn.co.jp