みなさんこんにちは
台風が来ていますね。元気でお過ごしですか?
そういえば去年の9月11日、東京はものすごい嵐でした。
それで夕焼けが怖いくらい綺麗だったことを思い出しています。
明日発売のクーヨン(クレヨンハウス)という雑誌に巻頭5ページで、今回の夏の訪問のことを中心に記事が載っています。
どうぞ(買って)見てください。
どうしても私自身を取材・・・という色が強くなってしまい時々戸惑うこともあります。
でもね、全然違う分野の人たちが、少しでもパレスチナの現状を知るきっかけになってくれているんですよね。
そう言い聞かせて、やつれを隠せない私の顔でもなんでもバンバン載せてもらっています。
スタイリストさんとか、メークさんとかつけてほしいなあ。
せめてヘアサロンに行きたいよ・・・。
そっちはあんまり気にしないでね。
パレスチナをよく知っている人から見たら物足りない記事かもしれませんが、興味のなかった人たちにも見てもらいやすいような内容になっています。
日曜日に広河さんのベイルートでの報告がありました。
びっくりするほど若い世代で広い部屋を埋め尽くしていました。
1948年に発生した難民達の軌跡や1982年のフィルムがそこで公開され、いろんな問題が
今につながっている事をはっきりつきつけられた重い重い報告でした。
でも広河さんの人柄がとってもよく出た会でもありました。
時々失敗して独り言を言ったりするたびに、会場から笑い声が上がったりして、別な魅力も見せていました。
一昔前のパレスチナについて話す空気と、今とではすっかり時代が変わっている事を、広河さん自身が一番感じていらしたと思います。
「以前はパレスチナ・・・と言うだけで後ろから公安がついてきたのに。」ってもらしてました。
わたしもカフェでパレスチナ報告を堂々とやったりこうして一般の人が読む雑誌の一面にカラーでバーンっと載せてもらえるくらい、時代が変わったことを感じています。
それはどんなにタブー視されても、問題の本質がはっきりしていること、それを必死に声に出して訴えてきたパレスチナ人やそれを支える活動をしてきた様々な方たちの努力が実って世論がやっとついてきたということがあると思います。
特に9.11以降。
でも、だからこそ私たちが、そのうちに間違ったやり方に逸れていってまたパレスチナ問題をタブー視する時代に戻らないようにいろんなアプローチ、闘いかた、広め方、考えなくっちゃなあ・・・と思っています。
そんな考えている訳でもないんだけれどね。
失敗も時々あるし。
とにかく敵を見つけて壊すやり方は、もう古い。
最近まわりに陰口とか言う人もあんまりいないけどたまに言ってる人見ると、古いなあ・・・とか今自分のやっている事がうまくいってなくて貧しい気持ちなのかなあ・・・とかあれはヤキモチとコンランだなあ・・・とか本人に直接言えばいいのになあ・・・とか思ってしまいます。
紛争の素は、自分の足元にあるものね。
それでも「人」の闇の部分に、どういう風に向き合っていいのか時々わからなくなります。
「平和を!」と掲げている人たちが、例えばブッシュ大統領を糾弾しているときその人はじゃあ、何所に立っているのだろう・・と
自分だけは、すっかり「正義」になって運動をしているとしたらその「正義」は、ブッシュさんの言っている「正義と」何所が違うんだろう。
拉致事件もそうだけど、遺族の方は本当に被害者だと思います。
でも連日流れる報道を見ながら、いつのまにか私たち日本人全員が被害者になっている。
自分たちが「被害者」になる世論作りはなんて簡単なんだろう・・・と。
あっという間だった。
その一方で、自分たちの加害について認識するのは本当にエネルギーのいることです。
でも数々の貧困、紛争、戦争、汚染などの問題は、「豊か」といわれている生活をしている私たち自身がものすごく荷担している。
そのことが苦しくて、自分と向き合って動いている人たちや原発の地元の人やパレスチナ人のように自分たちの「存在」をかけて闘っている人となら、つながっていけるような気がします。
学生の頃、ふと地球が、一匹の蒼い魚であるようなそんな感覚を持ちました。
それはその後幼稚園で働いているときも、そして今も根底にあります。
自分の「脳」が発達しすぎて、脳の世界に支配され、その価値観だけで考え、泳ぎ進んでいる魚は、目に見えるものだけ追いかけている。
体の中の養分をを奪い合って自分のヒレや、お腹や臓器やらを傷つけている。
その痛みは、自分のものであることになかなか気づけない蒼い魚。
そして私もその魚の一部、どこか細胞の一ヶ所であるようなそんな感覚です。
結局は自分の中の闇と向き合っていくしかないんですよねえ。
森沢典子
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