今の国内の議論を見ていると、派遣を希望する人たちは
「陸軍を出すかどうか」という論点に持ち込むことで、
「とりあえず空軍を出すのは仕方がないだろう」という
ことをいつのまにか認知させることに成功しそうです。
しかも政府は今日「武器輸送」についての見直しを語りました。
こうやって、派遣するかどうか・・という根本の議論は
済し崩しに消されていくのでしょうか。
今、10年前は考えられなかった議論を毎日しています。
けれども、そのことを疑問に思うことすら忘れてしまいそうです。
「とりあえずこれにつかまっていないと国益が・・・」
その綱の先に何があるのかよくわからないまま
必死にしがみつき、そのままズルズルと闇に引きずり
込まれていくような、漠然とした不安や恐怖を感じています。
ある日「何を求めてここまで来たんだっけ?」と
立ち止まり、私たちは何と向き合っているのでしょう。
いつなら引き返すことが出来たのだろうかと
首をかしげながら振り返るのかしら。
自衛隊が派遣されるイラクは、今どんどんパレスチナの
ようになっています。
パレスチナの状況を少しでもイメージできる人ならば
すぐにアメリカ軍がイラクで行っている占領の本当の意味を
理解するはずです。
今年の春、イラク攻撃のさなか、アメリカ軍がパレスチナ西岸の
ジェニンへやって来て、イスラエル軍から「占領の方法論」を
学ぶ演習を行い、当時、地元紙にも記事が出ました。
詳しいことを関係者に聞くと、イスラエル軍は「ジェニン型占領」
(戦車で取り囲み、定期的に軍事攻撃を加えていく)と「ナブルス型占領」
(チェックポイントで街を封鎖し、外出禁止令を出して機能ごと低下させる)
の違いを米軍に教えたそうです。
私はパレスチナ人ではないけれど、その時には、自分(町の人びと)は
透明人間で、米軍やイスラエル軍の兵士からは姿が見えていないかの
ような錯覚に陥りました。
そこに住む人びとの存在や生活や人権が徹底的に軽んじられた
バーチャルな世界の話のようだったからです。
でも、私たち人間というものは歴史を振り返ればわかるとおり
「人の命や人権」など、簡単に無視できてしまうという事実も
知っておくべきかもしれません。
だからこそ、失いたくない感覚を必死に守ろうとしているのかも
しれません。
今日配信されたナブルス通信に、イスラエル兵が兵役に就いた
占領地パレスチナで、占領者になること、人の命や存在を軽ん
じることに、どれほどあっという間に慣れてしまったかを語っています。
日本の自衛隊は、アメリカ軍の元で任務につくことになりますが
どんなに人道支援なんだと自他に言い聞かせ続けても、
イラクの人々と関わるために銃を持ち、時にそれを向けることに
も慣れていくのかもしれません。
自分たちの仲間に犠牲者が出れば、チェックポイントにも
大儀を感じ、受け入れてしまううちに、いつの間にか
占領側に立つことにも慣れてしまうでしょう。
そして、いよいよ犠牲者が出ることにも慣れていくという
戻ることの出来ない深い淵に落ちていこうというのでしょうか。
こんな時、パレスチナの現地から届いた「占領する側」と「占領される側」の
人びとの切実な声に冷静に耳を傾けるのは、今後自衛隊を派遣する
ことで私たちが直面するものを想像するのに、とても役に
立つように思います。
森沢典子
PART1
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―――占領する側に立つということ―――
イスラエル化する米軍
2003年11月25日 田中 宇
9月下旬、バグダッドから北に70キロほどいったイラク中部の
町ドルアヤの近郊で、米軍のブルドーザーが果樹園の木々をすべて
根こそぎにする作業が行われた。付近は旧フセイン政権の支持者が
多いスンニ派の地域で、米軍に対するゲリラ攻撃が頻発していた。
米軍は、付近の村人たちを尋問したが、誰もゲリラの居場所を教え
なかったため、その「懲罰」として、村人たちが所有するナツメヤシや
オレンジ、レモンなどの果樹を、根こそぎ切り倒した。
伐採するなと泣いて頼み込む村人たちを振り切り、ブルドーザーを
運転する米軍兵士は、なぜかジャズの音楽をボリューム一杯に流し
ながら伐採作業を続けた。
ナツメヤシは樹齢70年のものもあり、村人たちが先祖代々育ててきた
果樹園だった。伐採を止めようと、ブルドーザーの前に身を投げ出した
女性の村人もいたが、米兵たちに排除された。
伐採を担当した米軍部隊の中には、村人たちの悲痛な叫びを聞き、
自分に与えられた伐採の任務と「なぜ村人たちにこんな辛い思いを
させねばならないのか」という不合理感の板挟みに耐え切れず、突然
大声で泣き崩れてしまう兵士もいたという。
テロ・ゲリラ攻撃が起きた場所の近くで、実行犯の居所を教えろと
村人に尋ね、情報をもらえなかったら「懲罰」として村の家々を壊したり、
果樹園を伐採したりするのは、イスラエル軍がパレスチナ占領地でよく
行っている「作戦」である。
パレスチナ人はオリーブの果樹園を大事に育て、オリーブはパレスチナ人の
「民族の木」のような意味合いを持っているが、それがイスラエル軍のブルドー
ザーによって潰されることは、パレスチナ人の全体にとって、イスラエルに対
する憎しみを植え付ける「効果」がある。
ナツメヤシの実が特産品であるイラクでは、ナツメヤシが人々にとって
民族の象徴のような木になっている。その意味で、ドルアヤでの果樹園の
伐採は「イラクのパレスチナ化」「アメリカのイスラエル化」を象徴する
出来事として報じられた。
(つづきは田中 宇の国際ニュース解説)
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◇占領地での経験を振り返り、兵役を拒否したイスラエル兵士たちの言 葉
【占領地での任務】
これにはあっというまに慣れてしまうし、多くの者が、この任務を気
に入ってしまいます。パトロールに出かけていって──つまり、王様
のように道を歩いていって、通行人たちを心ゆくまでいたぶって、仲
間と一緒に悪ふざけをするということですが、そんなことをしなが
ら、同時に、自分が国を守る大英雄であると感じられるような場所
が、いったいここ以外のどこにあるでしょう?
(アサーフ・オロン)
【占領の精神病理】
兵士たちはみな無感覚になっていて、自分たちがやっていることの過
ちがいっさい見えていません。この暴虐的な占領という状況下では、
子供を撃ち殺した話を得意げに語ることも、救急車の通行を阻止し
て、なおかつ自分の行為の正当性に疑いを持たずにいることも、何の
感情もなく人を殺すことも、すべてが実際に起きてしまうのです。
(ギル・ネメシュ)
『トワイライト・ゾーンへようこそ:占領地の予備役兵たち』
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◇イスラエルの兵役拒否者から米国の兵役拒否者に宛てた手紙
「今、僕らは、兵籍に入れという命令を拒否したために、裁判を受け
ており、最大3年の禁固を受ける可能性に直面している。
どこかで聞いた話だとは思わないか?けれども、似ているのは、彼ら
が僕たちにしていることだけじゃない。他の人々に対してしているこ
とも、似ている。つまり、テロを防止すると称して外国の土地を占領
し、他の人々を弾圧しているということ。君や僕は、それが、支配エ
リートの経済的・政治的利益を追求するための単なる言い訳に過ぎな
いことを知っている。けれども、その代償を支払わなくてはならない
のは、エリートたちじゃない。
代償を支払わされるのは、ジェニンやファルージャの、ラッマラーや
バグダッドの、ティクリートやヘブロンの人々だ。代償を支払わされ
るのは、縛られて顔を床に押しつけらたり、学校に行く途中で射たれ
たりする、イラクやパレスチナの子供たち。けれどもまた、クーラー
の効いたオフィスにいる将軍たちに大砲の運び屋として扱われるイス
ラエルやアメリカの兵士たちも、代償を支払わされることになる。こ
うした将軍たちが状況に対処する方法たるや、ただ非人間化---まず
は奇妙な見かけの外国人を、そして自分たち自身を---することだけ
のようだ。ベトナム戦争の退役兵士たちや、イスラエルの退役兵士に
聞いてみるとわかると思う。 」(マータン・カミネール)
『イスラエルの兵役拒否者から米国の兵役拒否者に宛てた手紙』より抜 粋
◇イスラエルの元兵士たちに精神の危機的状況が訪れている
『フリシュは、「1年8ヶ月前に取り組み始めたときに、私たちは麻
薬常習者へと堕してしまったバックパッカーたちを治療するつもり
だったんです」と言う。「でも私たちはすぐに、この困難な諸問題と
いうのが実は除隊した兵士たちの問題なのだということを発見したの
です。それで私たちは、インドから戻ってきたとか、海外に行かな
かったとかに関わりなく、危機的な状態にある全ての元戦闘兵士たち
の症例を取り上げることにしました。私たちは、かかってきた電話の
数に仰天させられました。麻薬中毒になってしまった、自殺しようと
する、そしてほとんどの場合には感情的な悩みなど、息子たちの非常
に痛ましい状態を抱えた親たちから、900件以上の電話を受けたので
す。こうした若者たちの多くは、サイェレート・マトゥカル
〔Sayeret Matkal〕、海軍奇襲部隊、ドゥヴデヴァン〔Duvdevan〕
そしてドゥヒファート〔Duchifat〕などの、非常に有名なエリート部
隊の退役兵士たちでした。」』
「兵士たちは、自らが行ったパレスチナ人たちに対する虐待やひどい
行い、屈辱を与えたりバカにしたりといった行為ゆえに、突然に泣き
出し、自分を責めるのです。除隊した後になって、彼ら自らの行為の
映像は、ノンストップ映画のように、彼らの心の中に映し出され続け
ているのです。すると、こうした兵士――『ランボー』などとニック
ネームで呼ばれていたタフな戦士だったのですが――は、インドへ出
かけます。その地で彼は、別の現実、静かで平穏な状況を経験しま
す。その後、帰国して、自分が何をしたのかに気が付くのです。現実
から逃れようと試み、ドラッグへと逃避し、そうして彼の人生は廃墟
になってしまいます」
『俺は何てことをしてしまったんだ!--100人もの兵士たちが
〈インティファーダ症候群〉で治療を受ける--』より抜粋
◇「占領」の実態。占領している者、されている者たちからの声。
「パレスチナ情報センター」
「カテゴリー別アーカイブス」のなかの【占領の実態】【占領の実態・
子どもへの影響】【イスラエルの兵役拒否運動】【イスラエル内のト
ピック】を中心に多数の証言、ドキュメントあり。
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詳しくは『パレスチナ・ナビ』
上記は、ナブルス通信 番外編
◇パレスチナからイラクへ向けるまなざし◇
( 2003.12.18号より)で紹介された記事の一部です。
他にも下記のサイトからもいくつか重要な記事を紹介してくれています。
『P-navi
info』 をご覧ください。
PART2
―――占領される側の人びと―――
次は、チェックポイントがどんな役割を果たしているのか
よくわかるラファのムハンマドくんのレポートです。
どうしても読んで欲しいレポートです。
余談かもしれませんが、ムハンマドくんと訳者の山田和子さんの
コンビが、いよいよ熟成して妖艶な感じすらする、読み物としても
極上のものになってきました。
そういう視点や評価は、パレスチナの現状を考えたら不謹慎なのかも
しれませんが、私にしてみると、現地のパレスチナ人から
直接届くレポートが、これほどまでに読み物としても完成しているのは
すごいことだなあ・・・と素直にムハンマドくんの感性や視点
山田さんの才能に感動しました。
それはそれだけこの辛く残酷な現状や運命に本気で向き合っている
ムハンマドくんの姿勢そのものでもあるからなんだと感じています。
森沢典子
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『語りつくせない1日──アブ・ホーリー検問所にて』
The day can't be discribed
2003年11月10日
ムハンマド
10月29日、午後1時。ガザからラファに戻る途中、デイール・アル・バ
ラー難民キャンプに来たところで、何百台もの車やタクシーやトラック
やバスと大勢の人が集まっているのに行きあった。いつもと同じフレー
ズが頭に浮かぶ。検問所か……。でも、ここにこれだけの車がいるのは
妙だな。検問所はハン・ユニスにあるのに、デイール・アル・バラー・
キャンプにこれだけの車がいる。ということは、もう長い時間、道が閉
鎖されているということだ。僕はタクシーを降りて、料金を払った。こ
の車の数を見て、道路閉鎖が解除される見込みはないと判断したのだ。
検問所そのものは閉鎖されていないという場合の通常のやり方で検問所
を通るとして、必要な時間は4時間くらい。
アブ・ホーリー検問所はハン・ユニスの、ガザ南部と北部を結ぶ幹線道
路にある。この検問所が設置されたのは3年ほど前。ここが閉鎖される
と、誰もこの地域に入ったり通過したりすることができなくなってしま
う。彼らがこの場所を選んだのは、要するにガザ地区の脊椎に当たって
いて、ここを閉鎖することでガザ地区に住むパレスチナ人全員の生活を
成り立たなくさせることができるからだ。今日、午後1時という時間を
選んだのも、勤め人や労働者や学生たちが家に帰る時間だから。だか
ら、何百人もの人たち、何百台もの車がひしめきあうということにな
る。いつものように、みんな、検問所が閉鎖されているのがわかると、
車を降りて、坐って待つ場所を探す。それもできるだけ検問所に近い場
所を。誰もが、イスラエル兵が検問所を開けたら真っ先に通りたいと
思っているからだ。検問所の内側にいるイスラエル兵たちが銃や砲弾を
撃っている音が聞こえる。数メートル前進してみたけれど、いろいろな
地域や町から来た人たちでごったがえしていて、それ以上先に行くこと
ができない。ひとりの女性が目にとまった。ふたりの女の子とひとりの
男の子を連れていて、腕にはもうひとり赤ちゃんを抱えている。男の子
が立ちどまって、水と食べる物がなければ、これ以上歩けないと言い出
した。すこし先まで歩いていったお母さんは大きな声で男の子を呼んだ
けれど、男の子は、水と食べる物を買ってと言うばかり。今、検問所近
辺には食べ物はいっさいない。水はと言えば、この地域一帯のどこにも
ない。水は完全に涸れていて、この地域の人たちは普通に生活すること
もできなくなっている。まるで砂漠のように。そして、この地域を砂漠
のようにしてしまったのは、イスラエルのブルドーザーなのだ。
(続きはこちら)
※ムハンマドさんはガザの最南端の街、ラファに住む大学生。家屋破壊
が日常的に行われるラファの様子を“Reports from
Rafah - Palestineと
いうウェブサイトで世界 に発信しています。今回のメールは日本の読者
のために特別に届けられ たものです。写真も届いていますので、以下の
サイトでご覧になってみ てください。
(ナブルス通信
2003.12.6号「語りつくせない一日
―――アブ・ホーリー検問所にて」より抜粋/翻訳・山田和子)
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