■レポート、雑感リスト  
情報を送る人と受け取る人
 

暑い日が続いています。元気でお過ごしですか?

もう既に御存知の方もいらっしゃるとは思いますが7月29日(月)「5人のジャーナリストの見たパレスチナ」と題される報告会が東京のウィメンズプラザホールで行われます。


広河隆一さん、古居みずえさん、土井敏邦さんが世話人として立ち上げた『日本ビジュアルジャーナリスト協会』設立の記念報告会としてほかにその意志に賛同した村田信一さん、亀山亮さんを含む五人のジャーナリストが報告をするそうです。

個人的なことですが、私はこの日、国内にいないので報告を聞きに行くことが出来ません。

でも、一人でフラフラとパレスチナを3日歩くより、この会に参加した方が得るものが多いのでは・・・と日程をやりくりしてみましたが、動かすことが出来ませんでした。残念!!


何故ならば、パレスチナの現状報告だけでなく、それぞれの方がどんな思いで現場に関わってきたか、御自身の思いや立場を踏まえて報告をなさるということだからです。

その背景にはまず、緊迫した最近のパレスチナでの取材で、ジャーナリストとイスラエル軍の間に生れた新たな緊張があるようです。

私が訪問している間にも、ラマラでイタリア人のベテランジャーナリストが戦車からの攻撃で殺されました。(最近は、平和活動家の拘束や締め出しも目立ってきました。)

代表の広河さんは
「特にフリーランスは、取材を続けることが困難だし拘束されても保護されることが少ない。微力でもジャーナリストとしての仕事を守るための横のつながりが欲しいと思ったことが、今回の協会設立の第一の理由になっている。」と語られています。


そしてそれだけでなく、ジャーナリストとしての立場の確認というような強い決心も伝わってきました。

「問題をはらんだ場所に行くからには、その取材と報告において、問題への真摯な理解が要求され、ジャーナリストとしての資質や責任が問われるのは当然だ。」

「報道によって守られなければならないものを守ることは、ジャーナリストの責任であり、それを守ることと、権力に対して表現の自由を守ることは同じになる。」

特にまだ地位の低いカメラマン(写真やビデオ)による、情報交換の場ではない志を守る会を立ち上げようとする、その始まりの日となるのです。

私は、初めてそのお話しを伺った時は、実はあまりよく理解できていませんでした。でも、すぐに次のことを思い出しました。

実は私は、私たちが普段何気なく目にしている情報を、ジャーナリストたちがいかに苦労して取って来ているかについて、今回自分がパレスチナに行ってみて初めて知りました。

例えば、「2000人」という数字がそこに書かれていたとします。
その数字を得るために、どれほどの時間とお金と労力を使っているか、どれほどの資料を集め読んでいるか、時には命もかけてやっとつかんだ情報は、更にそれを公に発表するための裏付け調査もしなくてはいけません。

その徒労は私たちには計り知れません。

そうして発表される一つの情報を私たちはなんと簡単に、そして一瞬にして得てしまっていることでしょう?

また、何を情報として提供するか・・・ということはジャーナリストの人としての信念や目的によって
大きく作用されているということも知りました。
その意味で、ジャーナリストはもっとも人間的な仕事の一つであるし、その人の人となりが問われる仕事であることも痛感しました。

私はジャーナリストではありませんが、今たくさんのメールをやり取りするようになって時として私が情報を発信する側に廻ることも起こります。

ここに一つの失敗例があります。

5月のことですが、ある夜中に一枚の写真が送られてきました。
それは私個人に送られた報道写真だったのですが私は、惨い事実に対する怒りにまかせて、その写真をガザで聞いていた臓器の問題と一緒にして転送しました。

ところがまもなく、とっても気分が悪くなって眠れなくなりました。

私は何故気分が悪くなったのかずっと考えていました。

まず、流した写真が私の撮ったものではなかった事。
それから、ずっと気になっていた臓器の問題を、それとは直接関係のない写真と一緒に流して、なんとなく関係があるような印象を、もちろん意図的ではなかったのですが、受け手にもたせてしまった
こと。

そして、このような写真や、臓器に関する悪い予感を広く流す事は、いろいろな人に知ってもらいたいとか、考えに入れてもらいたいとかそういう域を越えて、ただの悪い噂の垂れ流しのようなものに
なっているのではないか?

事実を語ることは大切です。
けれどもいつから私は噂を流す役を果たす人になってしまったのだろうと、そんな疑問が湧きました。

特に悪い噂を流しても、それはイスラエルにとってもパレスチナにとっても不信感は増すことはあっても、いい方向に進むことはありません。
この先私は、やはり私の見た事や感じた事を自分の言葉で伝えようと決めました。

そうして落ち込んでいる時に、エルサレムにいる広河さんからメールが届きました。

その中には次のようなことが書いてありました。

「あなたの報告は、自分の目で見たことを、自分の心を通過して、誰にでも分かる言葉で伝えるために、みんなの心に伝わるのです。
うわさの中には真実と、その数倍の虚偽があります。
あなたはうわさをそのまま伝える人であってはならないのです。それがもし嘘であれば、あなたはイスラエルには入国できなくなる可能性があります。あなたはこれから何度もパレスチナを訪れて、伝えてもらいたいことが多くあるはずです。当のパレスチナ人がそう感じているでしょう。
もっといっぱい書いたのですが、いくら書いても舌足らずになります。
あなたがあなたでなくなるはじめのような気がして、これを書きました。」


そんな広河さんのジャーナリストとしての姿勢をうかがえる言葉があります。


チェルノブイリ子供基金が行っている夏の催しで「ジャーナリスト講座」を開き
子どもたちに話した言葉です。

「すべての人は、幸福に生きる権利を持っています。

そして自分たちを幸福にしてくれることを願って、政府を選びます。
しかしどの政府も人々の幸福を願うわけではありません。

お金のために人々を犠牲にする政府もあります。
人々に知らせては都合の悪いことは隠そうとします。

あなたがたが病気になったのは、あなたがたの健康や幸せをまず第一に考えなかった政府や、事故の被害を隠そうとした人々に責任があります。

ところで人々は知らなければならないことを、いつも知らされるわけではありません。
その人々の“知る権利”を行使するのがジャーナリストなのです。
だからジャーナリストは相手が大統領でも軍隊でも、対等にインタビューしたり、調査することができるのです。

ジャーナリストは人々の“幸福になる権利”と、そのための“知る権利”に基づいて仕事をし、真実を人々に知らせる義務を負うのです。

だからこうした人々の幸福を願う気持ちに基づかないジャーナリストは魂を売ってしまったジャーナリストで、本当のジャーナリストではありません。

みなさんが将来ジャーナリストになりたいと思うなら、まず人々にとって何が幸せか考える人になってください」



権力の力で情報が管理され、いつのまにか世論が作り上げられてしまうこの時代に
これからは、一般市民である私たち自身がマスメデイアになっていく必要を感じてい
ますし
つながっていけると思っています。

だからなおさら、報道や情報について、発信する側も、受け手となる側も今一度考え、心を合わせて、立場や志を確認するための、いい機会を作ってくださっていると思います。

参加できる方は、どうぞ足を運んでみてください。
(これはどさくさなお願いですが、もしよかったら、行けない私に感想や様子を聞かせてください。)


日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 設立記念報告会

5人のジャーナリストの見たパレスチナ

日時 7月29日(月)午後6時30分〜
会場 東京ウィメンズプラザ・ホール
会費 800円

問い合わせ TEL090−6101−6113(市川)
FAX03−3327−1448
E-mail jvja@hiropress.net


森沢典子
 
 
midi@par.odn.co.jp